耽る夜に、

- 날이 적당한 어느날 -

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忙しいのもあって、時間止まってくんないかなとか当たり前みたいにぼんやり願っている。ここ最近、ずっと眠れなかったのが何かの暗示のようだった。7月にはいってから以前にも増して眠れない日々が続いて、何故かずっと泣きたい気分で、メンタルがしにかけてると思ったので、少しだけSNSから離れて、美味しいものを食べて、溜まってた先月のたるばんを観て充電した。かわいくて仕方なかったシーンをツイートする。久しぶりに雨がやんだ日だった。記事を読んだけれど、何が書いてあるのかよく分からなかった。当たり前にそこにあると思っていたのに、突然違うことを言われても困る。思っていた という言葉が相応しくないくらい、それはわたしのなかで当たり前のことで、いつかのわたしはそういう無意識的な意識に生きていたものだから、余計困った。無意識の水面下に漂っていた意識を、水が引いて認識できるようになった頃には すべて起きてしまった後なのだと、何度も同じ経験があったのに、ひとはこうも簡単にそのとき得たものを手放してしまうのか。また間違えてしまった。二度と戻れないときになってから気付く自分が情けなく、何を思っても仕方のない、どうすることも出来ない自分がそう感じるのを抑えられないことが、どうしようもなく嫌だ。わたしのなかで方々に放たれ、あたりを照らしていた光が消えて、ひろがりはじめた穴は元に戻らない。自分が削られていく。‪忘れる とは違うから、きっとかけらはどこかに引っかかっているんだろうけれど、今は探す余裕もなくて、ただ悲しかった。直後からああだこうだと解説する記事やSNSの声が嫌だ。自分のなかに作り上げた"大切"で輝いていた星が去るたびに、自分の中身が一握りずつ削り取られていく。体は重く、心は鉛のようなのに、どこか空っぽで軽くなる。涙腺はその役割を忘れてしまったようだった。涙が流れでない悲しさも本物なんでしょうか?他人優先 いつも笑顔 みたいな生き方をしていたら泣き方を忘れてしまって、全然泣かないひと みたいな印象持たれてるので、ある程度の秘匿性があるここでしか言えなくなってしまった。わたしは悲しいです。涙、出てなくても。わたしのなかで、前に進もうとする力と削りつづける力の、ちぐはぐな渦が渦巻いていてしんどい。あの日はSONGSがあったから、気持ちが良い方向に変わればと思ってリアルタイムで観た。彼もあーみーだったな、などと思ってしまった。観ながら呟いたいくつかの言葉にウソはひとつもなく、翌朝のツイートも、わたしが言いたくて言った言葉 の、はずだけど、もうひとつの"大切"を目にして、愛おしいな と感じて、実際そのときのわたしは笑っていて歌を口遊みさえするのに、その後さっき感じた陽の気分がウソだったのか本当だったのか分からなくなる。わたしは 悲しい をこのままにしておきたいのか、はやく癒したいのか、よく分からない。無理矢理蓋をしてしまうのも、少し楽しくなった後で滅入ってしまうのも嫌で、何も観ないことにした。きっと、そのうち癒えるから、今は悲しいを育てても良いんではないかと、悲しいのを誰にも言えないのでここに書く。自分のなかで齟齬が生じるのがきつい。わたしがだいすきだったあの作品の裏側で彼は苦しんでいたのだろうか。こちら側の、また新しい作品を観たい というあの気持ちが彼を追い詰めたりしたのだろうか。これで楽になったのだろうか。穏やかでいられるのだろうか。わたしには何も分からない。周りの誰も、本人以外、分からない。どうか、いま眠る場所が穏やかな夜であったなら、やさしい夜だけが訪れる場所であったなら、彼が安らかに過ごせる世界はここじゃなかったのに、そう願う、ただわたしが自分を慰めたいだけの、エゴが膨らむ。

向こう側で輝く姿に、笑ったときに現れる口元のしわに、細められる目に、耳心地の良い声に、大きく口が開くあの笑顔に、横顔に、目線の動きに、わたしの感情を沿わせたこと、想ったこと、どうしたって戻れない日々を、わたしはたしかに憶えている。いつか、あの光はまたわたしのなかで灯るだろうけれど、今はまだ考えたくない。空っぽに近づいていくこころに、かつての日々は形を変えて戻るだろうか。進みつづける浸食を、少しずつ、穏やかに抑えられるだろうか。いつか、消えていった光をまた集めるべく、あの笑顔を見つめることができるだろうか。そのときわたしは笑えるだろうか。

頭が痛い。体がおもい。空っぽになっていくわたし。終わらしても終わらしても、ToDoリストに線を引いたそばからタスクが増える。文献を読み込まねば。期末考査を受けなければ。今日は雨だから、洗濯物はお風呂場に干して、また明日ベランダに出さなければ。あの子がよく飲むから、多めに麦茶をつくらなければ。レポートの締切が迫っている。時間がわたしを追い越していく。雨が止むのはいつだろう。エアコンの冷気が偽物ぽくて居心地が悪い。わたしの空っぽが埋まっていく気がしないこともないので、まあ忙しくて良かったな と思った。

わたしの毎日は続くし、I-LANDも毎週観てるし、Netflixも契約したので空いた時間には映画を観ます。その時の感情がウソか本当か分からなくなるから、きっともう一度観る必要があるけれど。あわよくば全ての感情を映画鑑賞に昇華したいという目論みもある。映画の感想ということにして、勘違いさせて忘れたい。あわよくば涙とか出てきちゃったりしないかな などと、何度試しても無駄だったことをまた試そうとしている。たるばんは、元気だったら、観ます。かわいいな と感じるし、面白かったら笑うと思う。ご飯も食べます。お腹はすくので。15:26 より前の日々と同じことを繰り返します。何も変わらない。わたしは気丈なわたしのまま生きます。一応TLもたまに見に来てたし深夜のサプライズばんたんラジオも聴いてたのだけど、何か感じたそれが本当に言いたいことなのか、感じたことなのかよく分からなくて、ここ最近ツイッターおやすみしてました。そのとき感じたことを忘れないように記録するのが主な目的なので、ここ最近のこころも記録しとけば良かったかなと思うこともあるが、あんまりはっきり見えるとこに齟齬を遺してしまうと見返したとき自分がしんどくなるから… 毎日は続く。ばんたんぼむ観て、感想を抱くことあるだろうけど、ウソか本当か分からないので何も言えない。メモリーズはちゃんと予約しました。お家に佐川さんから届く頃にはもうすこし元気になって、てひょんさんと少年団たちの姿をまっさらなわたしで観たいなと思う。絶対こころが穏やかになるぶいえぷあるけど、てひょんさんへの想いがどしどし降ってきても空っぽが埋まるか分からないし、埋まっても埋まらなくてもやっぱり悲しいと思うから、しません。たぶん忙しくしとく他ない。そして、いつか、わたしが見れるようになったら、ここに写真を貼りたい。あの横顔の。きっといつか、あの晴れやかな笑い声も聴きたくなるだろうから、そしたら今までの作品を観たい。犬歯をちらっと覗かせて笑うあの笑顔をみて、まっさらなこころで、とてもすきだなと思いたい。わたしの空を撮る理由がまたひとつ増えたね。

いつか泣けたら、それで良いよね